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(地震)

伊賀上野城

 伊賀上野城は、天正3(1585)年に築城後、慶長13(1608)年に藤堂高虎に移封されました。藤堂高虎は、徳川家康の大坂攻めに備えて大幅な改修・拡張に取り組みました。大坂の陣で豊臣家が滅亡し、工事も中止となりましたが、藤堂藩の主要な領国である伊賀(10万石)支配の拠点として例外的に残され、城代が置かれました。本丸横の高石垣は高さが28.5mあり、大阪城に次ぐ2番目の高さです。嘉永7(1854)年6月13日、15日に発生した伊賀上野地震では甚大な被害に見舞われましたが、史料「伊州御城下破崖損所絵図」には、城下と城郭内の被害の詳細が記録されています。

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